エリカ沈没事件

去る12月12日にフランス北東部で油送船・エリカが沈没した事件は、人々に多大なショックを与えた。とりわけ、多大な汚染を・・・。今でも果てしない清掃作業が、地元の人達は勿論のこと、ボランティアの人々と軍隊によって行われている。このエリカで自社の重油を運んでいた、責任を取るべきのTotalfinaからは、謝罪が公表されるどころか被害者面さえ見せる有り様。地元を含めた人々が怒りに満ちてTotalボイコット運動をするのも当たり前と言える。後に取締役代表から謝罪及び沿岸洗浄についての具体的な計画などを発表するが、被害者達の怒りはそう簡単には消えない。
事件から1ヶ月が過ぎた今、詳細をまとめてみることにした。

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エリカの沈没

12月12日朝、フランス北西部の海で油送船が沈没し始めた。船体は2つに折られ、翌日13日の朝方には残っていた前部が海の底に沈み落ちた。船の名前はエリカ。このエリカを借りていたのはTotalの名で知られる石油会社TotalFinaだった。船に詰め込まれていた重油はその後2週間ほどゆらゆらと大西洋をさまよい、海岸沿いにはまだ姿を見せずにいた。
本格的な汚染が露わになったのは24日。約400キロメートルに渡る沿岸の汚染が発見され始めたのだった。これに対し、取締役代表がFrance Interなどのインタビューに答えていたものの、Total側から謝罪を含めた公式の記者会見が行われたのは1月5日。「汚染がこれほどに至るとは思っていなかった」「皆この事件をとても悔やんでいる」などの発言をする。ブリュッセル国際協約(Convention internationale de Bruxelles)によると、船が事故に遭った場合、責任を負うのは所有者であり借り手ではない、とされているそう。法律を楯に責任を逃れる、ということか。12月30日にジョスパン首相から招集を受けた後、Total側は沿岸洗浄のための特別任務を設け、4億フランを沿岸の洗浄のために緊急出資すると発表したが、ロワール・アトランティック県のLa Turballe市市長からはその洗浄の方法に「現実性と効率性に疑問がある」と言われるはめになるのだった。

暴かれたエリカの詳細

捜査が始まって、エリカの詳細が明らかになった。誕生から24年経ち、エリカという名に至るまで7回名前を変えて来たこと。現在の持ち主は書類上Tevere Shippingという会社になっていること。事故前の船長と乗組員の振る舞いに怪しげなところはなかったこと。船の構造が嵐に耐えられる構造ではなかったこと。そして、防水隔壁の腐敗が確認されていたということ。この腐敗は、船の管理を負っていたイタリアの会社Rinaが1998年にエリカの改造を行ったとされる時に、既に確認されていたという。
また、Total自身もそういった船のコントロールをしていたはずである。実際、同じ石油会社Shellはエリカを「不適切、安全性に欠ける」とみなし、この船を選ばなかった。しかしShellは1度だけ1997年にエリカを利用したことがある。1度、4日間だけだ。これに対し、Totalは1999年に4度エリカを利用していることが確認された。
BEA(Bureau Enquetes Accidents 事故調査事務所)によると、Total側の航海に関する資料収集が怠っていたと予想されている。1999年11月にRinaが年間のコントロールに来た時も、注意深い観察を怠ったとされている(勿論Rina側はそれを否定している)。彼らはまた、「最も汚染度の高いものが最も危うい船で運送されていた」とも発言している。最も大事な安全性を犠牲にした選択。何のため、だろう。

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